Zherlieのお仕事
Zherlieは大学4年制に行き、宮古島にハマって行きまくってたら留年し、5年生で卒業しました。
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何にも後悔してない。
その後すぐに調理師学校へ行き、1年間通いました。
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本当は大学行かないで行きたかった。
座学が嫌でサボってボディーボードばっかりやりに行ってたら、卒業式の日に卒業出来なくて、お金払ってその後もレポート書きに学校行って2週間後くらいにようやく職員室で卒業証書貰えました。
その時担任に言われた言葉は、「うちのクラスで就職決まってないのお前だけだよ」でした。
またやん!!
またみんなあたかも就活してません、みたいな顔してたのにちゃっかりしてるやん!!
人って怖いわー。
そんなZherlieは自分が働きたいお店が決まってたから、募集が出るのをひたすら待ってたんです。
だから就職先決まってないのお前だけだよ、と言われてもへっちゃら。
その後5月になっても募集がかからないので、アイドルタイムに直接行って、「すみません!働かせてください!」と言いました。
若いってスゲー。
今もあんまり変わらないけど。
そしてその場で即採用。
オーナーシェフの言葉は今でも忘れない。
「やってみないと芽がでるかどうかは分からないからね。やってみよう。」
でした。
そこから半年間でしたが地獄のようでした。←えっ
下っ端なので3ヶ月くらい休みありませんでした。3店舗あるので、そこをクルクルとヘルプに行かされてました。
早上がりはあっても休みはない。
賄いはイジメかと思うくらい少ない。マジで。日本蕎麦3口分くらい。でもイジメられてはない。多分。多分。
え!気づいてないだけだったのかな?!
賄い費削りたいんだよなー。と言って毎日日本蕎麦。他男の人3人。バカ山盛り。
Zherlie3口。
.....ま、いっか。
まぁ案の定ガッリガリに痩せていき、怒りやすくなり、親との喧嘩はしょっちゅうでした。
因みにZherlie拒食症になった経験アリ。
親はこの時のことが頭をよぎったのでしょう。
153センチ。40キロ。13パーセント。
フライパン振れませんでした。
フライパン振れなくなった時に、もう辞めたいって思った。
親にも散々早く辞めなさいと言われてました。
そんな時に小2から一緒だった妹であり、姉であり、友達の様な存在の愛犬が突然亡くなりました。
彼女が辞めるきっかけを身をもって教えてくれたんだ、と思いました。
その日の夜に辞表を書いて、店のドアに挟んできました。
次の日から鬼電鬼メール。怖かたー。
辞めて後の人に迷惑がかかるとか考えねぇのかよ!というメール。ごもっとも。いや、そこまでの戦力ないですし。私いなくても余裕でしょ。
一人先輩は、「お前ならどこ行っても通用するよ。頑張れよ。ただ自分の包丁くらいはもって帰れよ。オーナーいない時にでも取りに来い。」とメールをくれました。
包丁取りに行ってません!爆
その後は1週間ニートをし、大学と専門の時に行ってた居酒屋に拾ってもらい、ピザのデリバリーを掛け持ちし、その後居酒屋は訳あって辞めて、ハワイ上陸一号店のとあるお店で5年間働きました。
途中からピザのデリバリーも辞めて一本でやりました。
なんか店長代理とかなっちゃったんで。
今思えば楽しかった。一番自分らしくいられた。戻りたい。
その後、5年間務めたところを辞めて、前々からやってみたかったエステサロンからお声がかかったので、そこを辞めてエステサロン一本に絞りました。
とんでもなくつっぱしった9ヶ月間。
たかが9ヶ月間。
されど9ヶ月間。
濃かった。
濃厚だった。
声が出なくなった原因はこの辺にあります。
そしてこれらは全てフリーター扱いの仕事です。
なぜZherlieは就職しないのか!
それは、やりたい事が沢山あって行きたいところが沢山あるから。
#フリーター#旅#一人旅#